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2006年09月03日(日)

阪神大震災

その「揺れ」は今も体で覚えていますが、直後の記憶がありません。
次の記憶は、その日の朝にとびます。
食器棚の中身がリビングの床に全部飛び出していました。
食器たちは粉々になって、ただのガラス片となって散乱しています。
停電が回復してやっとついたテレビに、神戸の街が映し出されています。
高速道路の高架が横倒しになり、
見覚えのあるビルが2階,3階を失ってちょっと低くなり、煙を出しています。
どうしていいかわかりませんでした。
嫁と息子は、ここよりも神戸に近い実家に泊まりに行っています。
心配です。なのに、頭の中が真っ白になって、
何もできず、ただテレビを眺めていたことを覚えています。
ボクは基本的に、思い立ったらすぐ行動、というそそっかしい人間です。
が、その日はまったく何も思いつきませんでした。
昼ごろ、嫁とは連絡がつき、無事であることが確認できました。
でも、実家のまわりでは家がいくつも倒壊したそうです。無事でよかった。
次の日、神戸支社の人間は、大阪支社に集合しました。
もちろん、集まることができる人間だけです。
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私はこの地震があった時間ちょうど起きていまして兵庫県よりの京都府におりましたけどすごく揺れを体で体験しました。テレビをつけて見たあの光景今でも忘れません。
地震の当時、西宮にいました。
家、倒壊し、小学校非難し、寒い中教室で寝ました。
教室の床って、ものすごく冷たかったので、ビニールシートの上に布団しいて寝てたら、結露で布団がびしょびしょになりました。。。
避難所での生活は、トイレの水が流れないので、交代でプールからバケツで流すようにしてましたが、追いつかず汚物で溢れかえってました。。。
家に埋まっている人の救出のため、スコップ持って走り回っていました。。。
自衛隊のヘリが上空を飛ぶのは見えるのですが、助けに来る気配はありません。。。
なんか、ホント地獄をみました。
自分の車は無事でしたが、道路が倒壊した家でふさがれて、出すことができません。
ほんとに途方にくれていたら、近所の建設会社の社長が重機を持ってきてくれました。
みんなで道路を整備し、3日後に枚方のおばちゃん家に逃げ込みました。
逃げ込む前に食したものが、横綱のラーメン。
この世にこんなうまいものがと思ってしまいました。。。
自慢じゃないですが、地震予知体質です。
寝てるとき、初期微動を体が感知して、目を覚まします。
阪神大震災の時も地震の直前に目を覚ましました。
リアルであの揺れ(と言っても震源地じゃないけど)を
体験してます。本当に怖かったっすよね、あの時は・・・
「震災まではなぁ~・・・」
「震災させなかったらなぁ・・・」
私たちは、
まだ、ため息のように口に出しますよ。
忘れてしまいたいけれど、忘れるわけにはいかない。
けして忘れてはいけない。
て、個々に言い聞かせてるようにも思います。
全壊し、震災後建て直した、この家が年々古くなるのを感じ・
時の流れの速さを感じます。
町中も、やはりポツポツとまだまだ空き地あります。
夏やから、雑草ボーボーで・・・
それがなんともいえん。
あの時「ああであったら・・・」「こうであったら・・・」
って思う事はあるんでしょうね・・・・
実際に被害に遭われた方々が持つ心の傷は被害にあってない我々の計り知れないものだろうと思います・・・・

自衛隊は・・・・緊急事態であったにも関わらず、
出動できなかったんじゃなかったでしたっけ?
Ruiruiさん、そうです。
伊丹基地では6:30には出動準備はできていたそうです。
幕僚総長から命令がなかったから出動できなかったそうです。
ボクはあの時、たまたま
勤務地が神戸やったので、その後
いろいろかかわってしまうことになりました。
それまで、神戸は苦手であまり行ってませんでした。
なんか、オシャレすぎて。
なんだか不思議です。
あの長田区でがんばっております。あの地震でだめになったひと、あの地震を・自信・に変えた人。いろいろな人をみました。
ゼロからやるのも悪くない。
私の中で何かがはじけました。
 地震の時 神戸の東灘区に住んでいました。ほんとに
命からがら逃げてきました。今では少し忘れかけていますけど...
 ところで あの地震の2,3日前 喫茶店でお茶をしていると
隣で話していた 2人組の女性客が『今年はこの辺りで大地震が来るよ』と話していました。私は自宅に戻り 『地震雲が出ていないかな』と空を見たり 主人に『もし離れている時に地震が来たら 待ち合わせどこにする?』と 集合場所を決めたのでした。その直後の地震だったので ぞっとしました。
 
 あのおばさん達こそ 腰を抜かしたに違いありません。予知
能力があったんでしょうか? 今でもお元気でいられるのか
たまに気になります。
こちらには初めてのコメントになります。
ひぃと申します。阪神淡路の地震の前に予知したらしい方がいたんですか。私(あ、♂ですがね)は阪神淡路の地震をきっかけに地震予知を始めました。確実とはいえませんがいくつかは当てております(口では何とでも…ね)。
よろしければ私のブログにもお越しください。
宣伝にしか聞こえないと思いますがスミマセン。宣伝の為のカキコミでないと思ってください
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Profile
へなちょこ・しゅん
血液型 A型
モーハワイ★コム編集長
■6歳■
学校から帰る途中、友達が落とした時計を取ろうとして車道に飛び出し、クルマにぶつかる。なんと、おばあちゃんが買ってくれたランドセルが、クルマの前輪にはさまり無傷。一度失った人生よ。 
■19歳■
調布から都内へ帰る途中、
ホンダのカブ(50CC)で軽トラと正面衝突。10mほどぶっとんで歩道へ。前輪が電柱とビルの壁の間にすっぽりおさまり、かすり傷だけで済む。二度失った人生よ。   
■25歳■
頭のど真ん中の脳幹に、脳腫瘍が見つかる。摘出手術14時間を2回やって、無事生還。後遺症は顔面麻痺のみという奇跡。手術の成功は脳外科学会で発表される。三度失った人生よ。   
■28歳■
とある会社の神戸支社へ配属になったとたん阪神大震災が起きる。早朝だったので大阪の自宅で被災。廃墟の三宮へ出社したら自分の机に天井が落ちてるのを発見。四度失った人生よ。
■35歳■
コンドミニアムの天井から黒い汁が垂れてくる。管理人と一緒に、誰も住んでないはずの上の部屋を調べに行ったら、腐敗した死体を発見してしまう。詳しくは編集記(この上のほうにリンクがあります)をご覧くださいまし。
■40歳■
脳腫瘍摘出手術を再び受ける。今回は12時間。いやはや、また助かっちまいました。
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