ホーム > 昔話 > インターネット
2006年09月30日(土)

インターネット

ボランティア活動をするために被災地の避難所を訪れました。
ボクたちが訪れた避難所は小学校でした。
避難所の人たちは、一丸となっていろんな活動を行っていました。
食品、医療品、衣類の各メーカーから物資がどんどん届きます。
自衛隊がテキパキと動いています。
そしてそこには、泊り込みでボランティア活動をする学生たちがいました。
物資を運ぶ手伝いなどをしましたが、学生たちの動きを見ていて、
日帰りでやってきた自分たちを恥ずかしく思いました。
これでは遠足気分で遊びにきたみたいです。
勝手がわからないので活動にも上手く溶け込めず、
最後は避難所の子どもたちの遊び相手になるしかありませんでした。
ほんまに何をしに来たのかわかりません。
途中で掲示板を見にいきました。
尋ね人、物資到着、物資交換希望などの情報が書かれた紙が、
学校の廊下の壁いっぱいにはっつけてあります。
と、学生がその中のいくつかをメモして部屋に入っていきます。
何してるんや? 部屋を覗いたら、学生がパソコンを開いていました。
ボクが初めてインターネットと出会った瞬間です。
1995年の1月のことでした。
コメント(11) | トラックバック(0) | 昔話
<前の記事 | 次の記事>

うちのおっちゃんが岡本にいて、よく物資を持って行きました。
自分も被災してましたが、西宮から枚方へ脱出していたので、動けない岡本のおっちゃんを助けに行ってたわけです。
なんか動いてないとめげそうで、なんかしな、なんかしなと思ってました。
そん時必要やと思たのが、ケータイです。
ケータイはそれから持ち始めました。
PC勝ったのは98年。
編集等の方が早いわ。
でも、村上首相の時自衛隊がなかなか動かなかったんですよね。挙句に他国の支援を断ったとか
やっぱりこう言うときは、国のトップの決断力と行動力が無ければダメだと思います。
テレビで入ってくる情報が、段々ゴシップになってしまったのに怒りと矛盾を覚えたもんです。ヘリで中継するなら一人でも少しでも物資を運んで欲しいとそう思いました。
インターネットは、その点でフィルター無しで伝えられる画期的なものだったんですね。
そういえば、地震の時は携帯や固定電話より、パソコンのメールが断然早いです。地震が多発する地帯に住んでいますので、何度か経験しています。断線しちゃったらダメですが、もしもの時に覚えて置いてください。
村山のおっさんでしょ。
あいつのせいで、たくさんの方が亡くなりました。
自衛隊の動きを2日は遅くしましたもんね。
それから、筑紫のおっさん。
被災地をそれこそ遠足気分で突撃取材して、
ピントはずれなコメントをいっぱいしてた。
ボクが、左系の政党とか報道機関をおかしい
と思うようになったのはこのころからなんですよね。
ちと、気付くの遅かったかもしれんけど。
うあ、遠足・・・。思い出しました。

報道だからって何をしてもいいのか?って思いました。
ヘリで飛んでいる間に、その音で人の声がかき消されていたり急いで戻って救援物資持ってくるなりしろと思いました。

TBSはオウムの事があって、ワイドショーをやらないってなったのに、この頃じゃ復活してきてますからね。喉元過ぎてあのときの熱さや人に与えた被害の大きさを忘れたんでしょうか。
あ、筑紫哲也の温泉発言おいて行きますね。
でも、みるとむかつくかも(怒
その炎の下では、火事が起きて人が焼けているかもしれないという想像さえ出来なかったみたいです。
私も被災者ですが、あの恐怖は一生忘れませんし、
『亡くならなくてもよい正直な人々』が犠牲になり、
『死ぬまで腐ってる汚い人々』が、平然と生き残り、
あの地震でまた私腹を肥やしたのも忘れません。

どんなに悔しくても、生きていかないといけません。
生きていくって大変なことですね。 foot
筑紫アホすぎ。
しゃべる仕事してる人間とは思えませんな。
ちゅうか、舌まわってないし。
入れ歯やからね!
数ヶ月前、番組最初に
「今日は1時間60分番組が遅れました」
とか言ってたらしい・・・・
命令が出ないために手を出すことができず、スコップを握ったまま倒壊した家の横に立ち尽くし若い自衛隊員が泣いていました。状況がわからない被災者に罵倒されながらも無言でただ泣いていました。近所の人の手によって掘り出された弟の亡骸に『ごめんなさい』とつぶやいている声が聞こえました。
村山さんのせいで被災者だけではなく、きっと自衛隊員の心も傷ついたと思います。
岡本に住んでいます。編集長の日記で震災の話が出ると
色々と思い出し胸が痛みます。
あの時被災地にいた人間には、電気もなにもないなかで
どんなことが放送されているかなんてまったくわかりませんでした。
もちろん被害の状況も。
筑紫さんのことも後で聞いて知って・・・・
あの日、高校生だった私がはじめてその便利さを知らされたのが
携帯電話でした。まだまだ高価なもので、私が持っていたのは
ポケットベル(笑)時代を感じさせますね。
名前:
メール:
URL:
 
コメント:
captcha
Cookieに保存
カレンダー
< 2008年12月 >
30 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 1 2 3
広告
Profile
へなちょこ・しゅん
血液型 A型
モーハワイ★コム編集長
■6歳■
学校から帰る途中、友達が落とした時計を取ろうとして車道に飛び出し、クルマにぶつかる。なんと、おばあちゃんが買ってくれたランドセルが、クルマの前輪にはさまり無傷。一度失った人生よ。 
■19歳■
調布から都内へ帰る途中、
ホンダのカブ(50CC)で軽トラと正面衝突。10mほどぶっとんで歩道へ。前輪が電柱とビルの壁の間にすっぽりおさまり、かすり傷だけで済む。二度失った人生よ。   
■25歳■
頭のど真ん中の脳幹に、脳腫瘍が見つかる。摘出手術14時間を2回やって、無事生還。後遺症は顔面麻痺のみという奇跡。手術の成功は脳外科学会で発表される。三度失った人生よ。   
■28歳■
とある会社の神戸支社へ配属になったとたん阪神大震災が起きる。早朝だったので大阪の自宅で被災。廃墟の三宮へ出社したら自分の机に天井が落ちてるのを発見。四度失った人生よ。
■35歳■
コンドミニアムの天井から黒い汁が垂れてくる。管理人と一緒に、誰も住んでないはずの上の部屋を調べに行ったら、腐敗した死体を発見してしまう。詳しくは編集記(この上のほうにリンクがあります)をご覧くださいまし。
■40歳■
脳腫瘍摘出手術を再び受ける。今回は12時間。いやはや、また助かっちまいました。
QRコード
qrcode
RSS 2.0
RSS 1.0
ATOM 0.3
XHTML 1.0
CSS
モーハワイ★コム
お知らせ通知登録
メールアドレスを入力して登録ボタンを押してください。このブログの新着記事をメールでお届けします。
お知らせ通知登録:
[解除はこちら]
最近のコメント
動画、喜んで見てます。正式オープン、楽しみ。 そ... NEW (amebouzu)
2008年12月5日 06:34
つっこみいれてくれたのは moana ママ だけでした... NEW (へなしゅん)
2008年12月5日 05:31
さっちゃんさん すばやいお返事ありがとうございま... NEW (へなしゅん)
2008年12月5日 05:29
ハローハロー! わたしが噂の(?)さっちゃんです... NEW (sachie)
2008年12月4日 15:43
まぁステキ・・・ 私もワイキキの星降る夜の中をド... NEW (まくコ☆)
2008年12月4日 11:24
私は自分の文体を変えることは、できないのです。 ... NEW (ひろ)
2008年12月4日 06:49
夜なのにグラサンかけて、黒皮のロングコート(こち... NEW (花豆)
2008年12月4日 06:11
いや~僕も社長は凄い人だと思います。 とにかくロ... NEW (紅)
2008年12月4日 05:54
すばらしい。ひさびさにハワイを走りたくなってきま... NEW (なべ)
2008年12月4日 01:10
やっぱり ハードボイルド路線は 似合わんなっ。 ... NEW (moanaマ)
2008年12月3日 23:24
モーハワイの本
へなちょこ・しゅん
&モーハワイの本▼
4789724646
4789724646
4789728625
4789728625
4789728625
4789728633
4789726207
4789724646
4789722686