うだうだ/歴史
■小浜市は遠敷郡から分離独立した。
■遠敷郡は平成の大合併で消滅した。
■お水送りが行なわれている『遠敷』は、『遠敷郡』とは別で、小浜市の中にある『遠敷地方』のこと。もちろん今もある。
でもって、そのあとに送られてきたメールが超刺激的でした。
■遠敷の文字は小丹生(おにう)から来ている。
■丹生(にう)とは丹土(につち)の出るところという意味がある。
■丹土=赤土=水銀の産地
丹生という名前がついた土地は全国にあるんやそうです。でもって、ほとんどは、かつて水銀の産地やったそうな。水銀は、今でこそ有毒なものですが、かつては不老不死の薬と思われていたこともあったんすよね。かつて北前船の港として栄えた町は、その昔、水銀の産地として栄えていたわけです。へえ×45
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遠い昔、東大寺二月堂が完成したときのことです。その完成を祝って、全国の神々を招待しました。が、遠敷明神だけが遅刻したそうです。遠敷というのは、小浜市の南にある郡です。で、遠敷明神は、お詫びに若狭の水をご本尊にお送りしました。で、なんでか知らんけど、これが毎年行なわれるようになります。3月2日に『鵜の瀬』から送られる『お香水』が10日後に奈良でくみ上げられます。これが『お水取り』です。
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ここまで書いて、ひょっとして、と『遠敷』で検索してみました。やっぱり....遠敷郡は、平成の大合併で消滅していました。今は『おおい町』の一部になってるみたいです。いやしかし、よく考えたら小浜市というのは、今は無き遠敷郡の北にある町です。お水送りは小浜市にとっては、隣村の行事になるんちゃうんか? ふと思いついたことを調べてみてびっくりしました。
■かつてこの一画は遠敷郡だった。小浜町も遠敷郡の中にあった。
■遠敷郡の小浜町と7つの村が合併し小浜市ができ、遠敷郡から離脱した。
えええええええええええええええええ!
おいらは遠敷ものやったのですね。
※遠敷とかいて『おにゅう』と読みます。
関口「足ならいいんじゃないかな」
ありがとうございます。というわけで、足だけ撮らせていただきました。関口さんです。いやあ、あのね、めっちゃええ人ですね。もうね、ちょっと興奮してしまいました。だってね、あの関口さんが、モーハワイのオフィスのソファに座ってはるんすよ。
うひゃー!
ちなみに、わたくしが一番好きな曲は、『C調言葉にご用心』です。
※ウクレレピクニック in Hawaii 2010/2/12~13
どんな感じだったかは、参加くださったみなさんがコメントくださるはずです。ボロカスかもしれませんが、よろしければご覧くださいまし。
へなちょこと行く『イオラニ宮殿とハワイ王朝物語』 感想
あ、参加くださったみなさんの半数近くがホノルルマラソン参加組なので、コメントが入るのは週明けになるやもしれませんが。いやしかし、参加くださったみなさま、ほんまにありがとうございました。
通常のガイドさんが、通常のガイドをしてくださいます。わたくしは、通常じゃない場面で、通常じゃないガイド?というか話?をさせていただくことになっております。通常じゃないことって何を話そうかなあ........
へなちょこ編集長と行く『イオラニ宮殿とハワイ王朝物語』詳細へ▼
通常コースを変えよう、とか、みんなでハワイ史について語り合う時間を作ろう!みたいな提案?をしたら、全部通っちゃいました。どうしよう。自分が決めたことになると、急に責任逃れしたくなる無責任&逃げ腰なへなちょこなのでありました(涙)
あくまで主催は『『イオラニ宮殿とハワイ王朝物語』さんですからね!(何びびっとんねん)
そんなわけで、ツアー後半、ハワイ史の疑問などについて共有する時間を作ってみました。参加いただけるみなさま、日頃なんとなく思ってる程度の素朴な疑問をぶつけてみてくださいまし。あ、もちろん、当日はプロのガイドさんも一緒です。わたくしも素朴な疑問を持っていくつもりです。いやあ、楽しみ(どっちやねん)
へなちょこ編集長と行く『イオラニ宮殿とハワイ王朝物語』詳細へ▼
この写真を見てると、ちっともマジメそうに見えませんが、マジメに打合せしてきました。
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■日程は12月10日で確定
■イオラニ宮殿は見学するけど
■せっかくなので通常コースとは違うとこへ行こう
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みたいな話になっております。わたくし、調子にのって、それならみんなで集まって話す授業みたいな時間を作りましょう!と言ったら....通ってしまうかも。どうしよう。
ひきつづき、お問合せなどはイオラニ宮殿とハワイ王朝物語のページへお願いします。
さてさて、すでにご紹介させていただいてる写真の中に、『イオラニ宮殿とハワイ王朝物語』のみなさんがいらっしゃいます。ちなみに左から、
■やまもとさん、息子さん、奥さん ■出水さん
の4人です。やまもとさんと出水さんは、
まきの茶屋でのモーハお食事会
にもご参加いただいてます。で、モーハワイってこういう使い方もできるのか、と思われたみたいで、ご提案をいただいてしまいました。
やまもと「編集長って歴史の本出されてましたよね。例えばですけど、単発のスペシャル企画で、編集長と行くイオラニ宮殿ツアーなんてのをやっていただけませんか?」
え?
やまもと「編集長はお客さんと一緒に参加するってノリのままでもいいですし」
え? え? おいらはガイドじゃなくていいってことですか?
................つづく
さて、ハルマゲドンSADAが、篠山SADAとなって(もうええっちゅうねん)シャッターを切りまくってるのを見て、わたくしもちょっとだけ撮ってみました。ハレイワにかかるアナフル橋です。ここんとこ、歴史づいてるので、アナフル橋についても少し。
■アナフル橋 Anahulu Stream Bridge
■アナフル川がハレイワ・スモール・ハーバーに流れ込むところにかかっているアーチ形式の橋
■1921年に作られています。大正10年です。原敬が暗殺された年ですね(何の話やねん)
サンフランシスコを取材した際に、歴史ある橋の写真を撮ったことがあります。あれ、何年やったっけな?と調べたら1932年でした。ハレイワの橋はそれよりも10年も古いのです。すげっ。この1921年は、アラワイ運河の整備工事が着工された年でもあります。ハワイが変わろうとしていた頃ですね(遠い目)
息子「おやじ、何年に何があったかってことよりも、歴史の流れを覚えるほうが大切やって言うてたやんか」
うるさい。1868年だけは絶対に忘れてはいかんのだ。そしてあと二つ。忘れてはいけないのが、
1905年 日本海海戦(日露戦争)勝利の年
1945年 原爆投下と終戦の年
です。いやしかし、タバスコってそんなに昔からあるんすよね。
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2000年のメルマガから★変態が市民権を得る日
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ハロウィンは古代ケルト民族とローマの行事が混合したものなのだそうです。古代ケルト民族は一年の終わりを10月31日と定め、その夜を死者の祭とした。それは死者の霊が親族を訪れる夜であり、また悪霊が横行し、子供をさらったり、作物や家畜に害をなす夜であった。死者の霊を導いたり、また悪霊を払ったりするため、焚き火は不可欠なものとなった。 そもそもの起源がこういうことなので「仮装」というのも、悪霊から子供を守るため、子供に「悪霊」や「死者」の仮装をさせるのが本来の姿のようです。このハロウィン、アメリカにはアイルランド移民が持ちこみました。そのころには「ドンチャン騒ぎ」「いたずら」という風習が加味されていたとのこと。
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2002年のメルマガから★ハロウィンについて
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ハロウィンの起源は、時代的にはイギリスという国家になる前の話なんやそうです。日本の『お盆』にけっこう近い感じで、古代ケルト族の祭りごとが始まりでした。その時代、10月31日というのは死んだ人たちが親族の家にくる日でした。これ、まさに日本のお盆です。このケルト人たちが住んでいたブリテン島(イギリス)にローマ帝国がやってきて、ローマの風習ががっちゃんこしてハロウィンになったんだそうです。ちなみにローマ帝国ちゅうのができたのは紀元前700年代で、ローマ帝国がブリテン島にやってきたのが100年代(うろ覚えの記憶ですいません)です。ローマで都市国家ができて約800年間の間、ブリテン島は草深い田舎やったのですから、なんだか不思議な気がします。
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さっき調べました★ついでにカボチャのこと
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ポルトガル語の「Cambodia abobora」(カンボジャ・アボボラ、カンボジアのウリという意味やそうです)が略されてこうなったそうな。北アメリカでは、オレンジ色のカボチャだけが『パンプキン』と呼ばれるみたいで、なのでハロウィンの時期は、一般的にオレンジ色のカボチャだらけになるみたいです。
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ネイティブ・ハワイアンのグループが50年前はハワイの州立化を祝う中心地だったイオラニパレスに、今日も続くネイティブ・ハワイアンの葛藤を示すよう、今日は黒いドレープ(カーテンみたいなもの)をかけるように頼みました。
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今日はハワイがアメリカ50番目の州になった記念日です。アメリカでの地位を確立させたかった人たちにとっては感慨深い日なんやと思います。でも、アメリカ人にやられちゃったよ、と思ってる人たちにとっては、めちゃくちゃ悔しい日です。ハワイ独立運動については書いたことがあります。よかったら読んでみてください。
さてさて、イオラニパレスに黒いドレープがかかるなら見ておかねば! 取材の後、へなちょこ・カーを飛ばして見にいきました。特に変化はな.....あ、見つけました。黒くはありませんが、リリウオカラニが幽閉されていたという部屋に、白いカーテン?がかけられていたのです。ただの改装中でしょうか?いや、やっぱりこの一件に関係して、ですよね? どうなんかなあ。.
■拡張工事はまだ完成しない
■新しくできる博物館は、ガイドツアー付きの別コースになる
ということがわかりました。なんや、まだやったんか。
さてさて、そんなわけで、前回と同じものを見ることになったわけですが、新たな発見がありました。東京を空襲した爆撃機の補足のところにこんなことが書いてありました。
アメリカ■不時着時に2名死亡、脱出時に1名死亡、日本軍による処刑で3名死亡、捕虜収容中に1名死亡
中国■約25万人がアメリカ軍パイロットを助けたという理由で日本軍に殺害される
日本■50人が死亡
は? アメリカの空襲で日本人は50人しか亡くならなかったというわけですか。この飛行機が殺したのはってことですか? まあ、そういうことにしといたとしても、このパイロットを助けたという理由で、日本人は中国人を25万人も殺してるんですか。は? 25万人とえば、東京都港区の人口より多いんですけど。そんだけ殺してるヒマもなければ労力ももったいないと思うんですけど。アメリカは、大量殺人でしかなかった、日本本土への空襲をどうしても正当化したいみたいですな。
■USS Bowfin /潜水艦ボウフィン号
です。ボウフィンは、大東亜戦争時に活躍したアメリカの潜水艦で、真珠湾に展示されています。これだけはまだ見ていませんでした。
本日土曜日。自宅で朝の業務を無事に終えたわたくしは、ルネッサンスアカデミーに通う息子を迎えに、パールリッジ方面へクルマを走らせておりました。と、巨大な空母を発見し、ボウフィンのことを思い出しました。よし、長男を連れていってみよう。でも興味ないかなあ。ダメもとで言ってみると、長男は飛びついてきました。
帰りに真珠湾に寄り道します。長男が見たいというので、アリゾナ記念館の展示も少しだけ覗きます。そのあとボウフィンへ。日本語用説明システム?を借りて、ヘッドホンをつけたまま潜水艦の中へ入っていきます。進むうちに無口になっていたみたいです。出てきたら長男が言うのであります。
「おとん、めっちゃ怒っとったやろ」
そ、そんなことないぞ。
「顔に出てたで。あはははは」
戦時中、ボウフィンは大型船舶16隻、小型船舶22隻を撃沈しています。ほとんどは商船でした。商船には大砲も機銃もないわけで、戦闘態勢じゃない船だということは見たらアホでも分かります。ボウフィンは、そんな民間人が1000人以上乗っている無防備な船を、一方的に沈めておりました。沖縄からの学童疎開船であった対馬丸などは、子供や女性ばかりが乗っていました。死者1484人。ヘッドホンから、艦長や乗組員の得意気なコメントが流れてきます。無防備な商船ばかりを撃沈していたことにはもちろん触れていません。
戦時中というのは非常時です。何が起きてもしょうがないとして、今、この人殺し潜水艦を自慢気に展示している意味はあるのか? あ、なんでもないです。
ハワイの情報サイトはいっぱいあるし、伝説や言い伝えに関する記事は山ほどあります。でも、すんごく上からの視点で、客観的に歴史を見て、でもって時系列に並べてくれてる記事はほとんどありません。わたくし、厚かましくも、それをやってみようと思ってるわけです。
今回も、いろんな資料に目を通しました。WEBサイトでもチェックしてみました。と、とある人物の死亡年が、いくつかの資料で食い違ってるのを見つけてしまいました。あれ? これはなんでこうなってるんや? 腹をくくって英語サイトを検索してみます。と、こちらでも食い違いが見られます。どうやら間違った情報を受け売りでそのまま記事にすることが繰り返された結果、このようなことが起こってしまったようです。他にも食い違い情報をいくつか見つけてしまいました。
というわけで、年表に従い、起きた事柄を整理して、ストーリーに関係するものだけピックアップして並べてみました。記事は短いですけど、作るのに午前中いっぱいかかってしまいました。ううむ、こんなことやっててええんか?
■真ハワイタイムマシーン




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