ホノカアボーイを勝手に応援する会
と、突然、こんな写真が送られてきました。かゆりさんって方からです。一緒に写ってるのはマサシのツアーの山ちゃんですね。っていうか、山ちゃんの家の階段ですやん、これ。
「ホノカアボーイを意識して写真撮ってみました。かゆりは本名です。本国を含めどこの国の方も私の名前をまともに発音してくれません(涙) 生まれは(山ちゃんと同じ)寝屋川です。育ちは鹿児島。毎年ハワイ島に通うようになって10年くらいになります。今回は2ヶ月滞在しました。明後日帰ります(号泣)」
.....やっぱり、このコーナー、そろそろ終了か?
「ホノカアは海岸線から随分高い位置にある町ですよね。あの町の海岸線はどうなっているのですか? たとえば、ホノカア・シアターの横の道をどんどんくだっていくとどこに出るのですか?」
そうなんすよね。わたくしもそれは疑問に思ったのであります。疑問に思ったらじっとしておれません。そのあたりの道のいくつかを下ってみました。なんと!ちょっと下ったところには、それぞれ小さな集落がありました。学校があるところもあるし、家だけが並んでるところもあるし。さとうきび畑がなくなってしまった今となっては、なんでこんなところに住んではるんやろう?って感じの場所なのであります。逆に言えば、遠い昔をふっと想像しやすかったりするわけですけど。
かつては、それら集落の中から、海岸線に下りる道があったようです。今もあるのかもしれませんけど、見つけられませんでした。どっかにあるはず!と探しまくって(何を必死になっとんねん)、見つけたのがこれです。なんと、発電所です。忘れ去られたような町に、こんな近代的なものが。妙な気分になりましたとさ。
カイルア・コナからワイコロアに抜ける19号線がまだ存在しません。もちろん、そこからHAWIへ抜ける270号線もありません。ハワイの幹線となる鉄道が見えますが、カイルア・コナとはまったく関係ないあたりを通っています。当時のカイルア・コナは、今ほど栄えていなかったのです。
鉄道はヒロとホノカアを結んでいます。ヒロはハワイ島で一番大きな町です。そこを出発した鉄道が、ホノカアまでやってきていました。前にも書きましたけど、ホノカアはハワイ島で2番目に大きい町やったんですよね。歴史を知ってると、こういう絵を見ても楽しめちゃったりするんですよーということをご紹介したくて書いちゃいました。
「朝は忙しいのわかってたんですけど」
と、おっしゃりながら、お土産を置いてあっという間に帰っていかれました。名前もお伺いできないくらいあっという間でした。ホノカアボーイがどうした、みたいなことをおっしゃったのですが、よく聞き取れませんでした。後から、御土産の中にDVDが入っていることに気がつきました。なんやろう? 気になりながらも、バタバタしていて確認していませんでした。
さきほど、ちょっと時間ができたので、そのDVDを再生してみました。そこには、日本のテレビで放送された『ホノカアボーイ』のプロモーション番組が収録されていました。2009年2月22日のホノカア・ピープルズ・シアターでの先行試写会の様子も紹介されました。もう1カ月もたつので、正直言ってちょっと熱が冷めてたんですけど(どないやねん)、見てたらなんか胸が熱くなってきました。もう一回観たいー! でもって、ホノカア行きてー!
お名前、わからないままですけど、ほんまにありがとうございました。
この映画館は一度閉鎖されます。が、買い取る人が現れます。キーニーさんというお医者さまです。ホノカアボーイの原作に登場する『ドクター』さんですね。この人が、映画館の改修工事を行います。そして、普通に映画を楽しめる映画館に復活させてくれました。
さて、現在の映画館です。この写真は、初上映の日の、まだお客さまが入る前に撮ったものです。正直言って、わたくし、中へ入るkまで、もっとボロボロやと思っていました。お化け屋敷みたいなのを想像していたら、見事に裏切られました。めちゃくちゃキレイやったのです。骨董品のような美しい曲線を持つイスに、古い映画の『舞台』に出てくるようなキレイな天井。博物館のような映画館です。そんな骨董品のような映画館でしたが、映画はしっかり鑑賞することができました。立派な現役の映画館です。
★支離滅裂な文章がアップされてました。すいません。バタバタしながら書いた結果、とんでもない文章ができあがってしまったみたいです。修正しました。
■めちゃくちゃ後頭部が目立っていたホノカア・シンヤです☆
ホノカアの町にて、コイチさん(虹のTシャツのおじいちゃん)の家を発見しました!
■おお、コイチさんってのは、喜味こいし先生が演じてたエロ本じいさんですね。わたくし、コイチさんの役って非常に重要やと思います。ホノカアの老人たちは、風のように消えていくわけで。いやしかし、映画、日本ではあんまりみたいっすね(聞いた話では) 内容がマニアックすぎるってことなんでしょうかね。
「勝手に応援って言ってますけど、本当は宣伝活動なんでしょ」
みたいなメールをいただくことがあります。違います。映画からは、ほんまに一銭もいただいてません。書きたくて書いてます。移民史に興味があるから、いろんなことを感じて書きたくなるんやと思います。今までも書いてきましたし。
「移民の歴史に興味が出てきました。何から勉強すればいいですか?」
わたくし勉強が大嫌いでした。興味のないものを頭に入れることほどつらいことはありません。なので、勉強しろなんて書けません。が、ヒントならお教えできるかも、というわけで、わたくしが大切にしてる1枚の写真をご覧いただきましょう。
あちこちの記事で使いまわしてるので、ご覧いただいたことがある方もいらっしゃると思います。べしべしハワイ島にも載せさせていただいてます。ハマクアコーストは19号線沿いにある、『ラウパホエホエトレインミュージアム』で撮ったものです。写真というか、データが書かれています。左から
■移民を送り出した国
■初めての移民がハワイに上陸した年
■1909年までに何人が上陸したのか
これを見て感じることは人それぞれ違うと思います。自分が興味を持ったことから調べてみるってのはいかがでしょうか。例えば、
■なぜ日系人が一番多くなったのか
■日本と沖縄が別カウントされているのはなぜか
■白人の移民もあったのに今目立たないのはなぜか
■今、フィリピン人はすごく多いのに、この表では少ないのはなぜか
■それぞれの国の移民が、なぜそれぞれの年にはじまったのか
■どうして1909年までのカウントなのか。
書いたらキリがないですね。でも、調べたら面白いですよ。
とのご指摘メールをいただいてしまいました。ネガティブなつもりはないんですけど、すいません。というわけで、今日は、キレイなホノカアの風景をご覧いただきましょう。ハワイ諸島は、どの島も、島の北側がえぐれ気味です。冬になると大波がざっぱんざっぱんぶつかってくるし、偏西風で雨風にさらされっぱなしだし。ハワイ島もそうです。ホノカアからヒロまでの『ハマクアコースト』の人が生活しているエリアは、海からかなり高い位置にあります。さとうきび畑も、高い位置に広がっていました。さとうきび畑はなくなってしまいましたが、当時と似たような風景は今も眺めることができます。水平線が大地の上に見えるこの風景は、はるか昔から変わってないんですよね。
「しかし、いったいどのくらいの感情になったら、なぶり殺した後に電柱にぶら下げられるのか...」
これは、当時の移民労働者の立ち位置というか認識のされ方というか、そういうのがわからないと理解できないと思います。わたくしの手元に、『SUGAR TOWN』という1冊の本があります。日系人 Yasushi Kurisu さんが、プランテーション時代のことを書いてくださってる本です。中に冗談のような写真が載っていました。ハマクアコーストでの移民労働者の送迎?シーンです。
A■上陸地点
B■大型船から沿岸までの送迎ボート
C■上陸する移民労働者
このあたりの沿岸は、波も高いし、岩場やし、しょうがないのかもしれません。けど、家畜じゃないんやし....(涙)
さて、マラサダはハワイ名物になっていますが、もともとハワイにあったものではありません。ポルトガル移民が持ってきました。ウクレレもポルトガルの民族楽器『ブラギーニャ』から派生したって言われてますよね。ポルトガルからの移民たちも、さとうきびプランテーションで働くためにやってきました。
1852年 中国人
1868年 日本人
1878年 ポルトガル人
3番目に古い移民です。が、彼らは白人だったので、労働者というよりも、現場監督って感じやったみたいです。楽器を弾き鳴らす余裕があったし、揚げパンを作ってくれる奥さんをつれていました。日系移民との待遇も雲泥の差やったみたいです。
あれ? なんか違うぞ?
オアフ島へ戻ってきてから『べしべしハワイ島』を出してきて写真を探しました。やっぱり違う! 気になってくると、ちゃんと確かめたくなる性分です。2003年のPHOTOデータを引っ張り出してきました。おお、色が濃くなってます。さとうきび畑がいきいきしてるし、海が真っ青です。塗りなおしたってことでしょうかね。素晴らしい。1点だけ、無念なことがあります。2003年の絵では、朝日にきらめく海が表現されていたのに、塗りなおした絵からは消えています。これ、わたくしにとってはけっこう重要なポイントでした。朝日が昇ってくる時間、すでにさとうきび畑の労働者たちはフル稼働していたわけです。『べしべしハワイ島』にも書いています。
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汗を流す労働者たちの向こうから朝日が昇ってきています。
なんだか切なくなる絵です。
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わたくしが、ホノカアボーイという映画を応援したい理由は、映画を見て、日系人の歴史に興味を持つ人が増えたらいいなあ、と思うから。日系人の歴史は、日本人の歴史でもあるわけで、本来の日本人の姿を見つめなおすきっかけになればいいなあ、と思うから。あ、じいさんくさいこと書いてもた。
ホノカアクラブについては、ハワイ在住『こなぴ~』さんが書いてくれてるので、リンクはっちゃおうっと。『Honoka'a Boy を語ろう ③』
後藤潤は、労働者として3年間働いたあと、ホノカアに雑貨店を開きます。英語が話せ、アニキ肌だった後藤潤は、正義感も強かったそうです。あごで使われている日系労働者たちのために、農場主と話をしたりというやっかいなことも引き受けたりしていました。労働条件の向上要求、もめごとの仲裁、何かあると出てくる後藤潤を、ホノカアの白人たちは心良く思いませんでした。そして、後藤潤は殺されます。電柱に吊るされていたそうです。
この碑には、その背景については書かれていません。犯人は、農場主と商店経営者でした。白人です。『奴隷』が店を開いて成功し、しかも歯向かってくるわけです。後藤潤は、リンチのような感じでなぶり殺しにされたようです。裁判が行なわれ、判決も出ましたが、とっても軽い刑でした。
書いてたらキリがないのでこれくらいにしておきますが、後藤潤は、日系人労働者でお店を構えた初めての男やったみたいです。白人と対等に渡り合い、そして闘いました。日系人たちの労働運動の草分け的存在の人物なのです。ビーさんの世代の前に、こういう人々が生きていたことを忘れてはいけませぬ。
そうそう、この『勝手に応援する会』はコウコクなのですか?とのEメールをいただきました。いや、コウコクであれば、モーハワイのコンテンツにさせていただきます。あくまで、わたくしが勝手に応援させていただいてます。オバマ氏を勝手に応援する会とまったく同じスタンスでございます。
もうひとつ、『わたしは原作はすばらしいと思ったけど、映画はイマイチだった。編集長は本当にいいと思ったのですか?』とのEメールもいただきました。いやあ、こういうEメールをいただくことになるかもなあ、と思っておりました。歴史好きのわたくしが、『ラストサムライ』を見たときに感じてしまった感情に近いんやと思います。わたくしは『ラストサムライ』を見て、史実があまりにも違う!と鼻息を荒くしてしまったわけですが、『ホノカアボーイ』原作ファンの方は、原作とイメージが違う!と鼻息を荒くしてしまわれたのでしょう。
正直に書きます。原作の主人公は、とても特別な環境にある方だと思います。いろんな意味で恵まれています。映画は、その部分を目隠ししてくれてます。特別な男の子を、普通の男の子に見せてくれています。なので、玲雄とビーさんの心の交流を素直に感じることができると思います。ハワイ島の、ホノカアのステキな風景を、素直に受け入れることができると思います。
というわけで、わたくしは、原作を読んだ後の今も、映画支持派?です。
「しゅんさん、長谷川さん、紹介してあげようか。ヒロでガイドしてる人」
エコツアーをやられてる長谷川久美子さんですね。ぜひ紹介してください。
久美子さんのWEBサイト/ハワイ・ネーチャー・エクスプローラーズ
「あの長谷川潤ちゃんのお母さんやでー」
え! あ、長谷川! そうやったんすか! と、なぜか、山ちゃん一家と長谷川久美子さんを一緒に写真を撮ることになり、デジカメを構えました。そこに、長谷川潤ちゃんが飛び込んできてくれました。あうっ。嬉しいかも(モーハワイ動画をご覧いただいた方は、わかっていただけると思いますが、役の中だけじゃなくて、素も明るくて素直でかわいいロコガールなのであります)
構図的に、山ちゃんの奥さんがあぶれちゃって、こんな写真になってしまいました。すいません。山ちゃんは、潤ちゃんのお父さんではありませぬ。っていうか、そんなことはどうでもよくて、故郷に錦を飾ってくれた娘を、眼を潤ませながら見つめる長谷川久美子さんの姿に、何度もジーンときちゃったわたくしでございました。







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