ホーム > 昔話
1 2 3 4 次のページ> 1/4page

昔話

すがっちドットコムと知り合って、
ボクはモーハワイを作り始めることになります。
この話は、昔どこかで書いたことがありますし、
まだ現在進行中のことでもあるので、
ひとまず「昔話」は終了とさせていただきます。
ハワイへ上陸してから、とんでもない目にいっぱいあってますが、
それはモーハワイが成功するなり失敗するなり、
とにかく結果が出たときにでも書かせていただきます。
人でなしたちのしょうもない営業妨害の数々は死んでも忘れませんでー。
(別に誰も読みたくないか。はは)
これからも、モーハワイをよろしくお願いいたします。
関西支社にインターネットチームができました。
スタッフは3人だけという小さなチームです。
世の中はまだ「インターネットって何?」という時代でした。
1年働いて、ボクが受注したWEBサイトは3社だけ。
「あのチームは遊んでいる」と、陰口をたたかれてるのも知ってました。
が、ボクがチームを任されることになった翌年には、
会社がインターネットにシフトし始めます。
インターネットチームは、WEBサイト制作ではなく、
顧客へのインターネット啓蒙を行う仕事を担うことになります。
営業同行が増え、企業の社長・採用担当者を集めての
インターネット勉強会も行われるようになりました。
勉強会でボクは、毎日、スーツを着て講師をしていました。
(今からは想像できんけど)
メインでなくなったとはいえ、WEBサイト制作の仕事は時々入ってきます。
そういう場合、インターネットチームは、外部の協力会社へ仕事をふります。
その仕事を請けようと、いろんな会社が売り込みにやってきました。
まだ、WEBサイト制作を本格的にやってる会社が少ない時代です。
妙な会社が多かったです。中に、ポルシェのネクタイをした男がいました。
初対面から男は飛ばしていました。
「まいどっ、すがっちでーす」
震災後、神戸の営業所でリーダー職に復帰しました。
復興がすすむ神戸で、がむしゃらに働きました。
あるとき、ホームページを作りたいといってる会社に出会いました。
作ったことがないのに、受注しました。
今から考えたら(今から考えなくても)ひどい話です。
独学で勉強していたホームページ制作の腕試しじゃ!
と作り始めました。
まだホームページが一般的でない時代の話です。
当時としては、そこそこのものやったと思います。
よっしゃ、もっと作ったるぞ!と思いましたが、
そんな話はしょっちゅうあるものではありません。
と、今度は、社内で、インターネット技術者を養成するための勉強会が
頻繁に行われるようになりました。もちろん、すべて参加しました。
そして、関西にインターネットチームができると決まった時、
真っ先に異動願いを出しました。
何人かの後輩から「コウコクを捨てるのか!」と言われました。
そんな風に言われたら、さすがに心に響きましたが、
ボクはもう「クリエイター」ではないのです。
避難所を訪問していろんなことを学びました。
一人では何もできないということ。
何をするにも「仕組み」を理解してないといけないということ。
目が覚めたような気がしました。
1年後、ボクは社内で表彰されます。
かつてボクは「コウコクの表現がおもしろい」ことを評価されていました。
そういう人間を社内では「クオリティが高い」とか、
「クリエイター」みたいな呼び方をするわけですが、
今回評価された内容は違います。
求人雑誌の神戸ページで、神戸の企業のコウコクを山ほど作ったこと。
復興に取り組む企業の記事をたくさん書いたりしたこと。
神戸の復興に貢献しようと努力した点が評価されたのです。
「おもしろいコウコク」はほとんど作っていませんでした。
もう、おちゃらけた求人コウコクは作れない.....
自分の価値観もすっかり変わってしまってることを知りました。
この受賞のちょっと前から、
ボクは独学でインターネットの勉強を始めていました。
初めて買ったのはマッキントッシュのパフォーマーでした。
ボランティア活動をするために被災地の避難所を訪れました。
ボクたちが訪れた避難所は小学校でした。
避難所の人たちは、一丸となっていろんな活動を行っていました。
食品、医療品、衣類の各メーカーから物資がどんどん届きます。
自衛隊がテキパキと動いています。
そしてそこには、泊り込みでボランティア活動をする学生たちがいました。
物資を運ぶ手伝いなどをしましたが、学生たちの動きを見ていて、
日帰りでやってきた自分たちを恥ずかしく思いました。
これでは遠足気分で遊びにきたみたいです。
勝手がわからないので活動にも上手く溶け込めず、
最後は避難所の子どもたちの遊び相手になるしかありませんでした。
ほんまに何をしに来たのかわかりません。
途中で掲示板を見にいきました。
尋ね人、物資到着、物資交換希望などの情報が書かれた紙が、
学校の廊下の壁いっぱいにはっつけてあります。
と、学生がその中のいくつかをメモして部屋に入っていきます。
何してるんや? 部屋を覗いたら、学生がパソコンを開いていました。
ボクが初めてインターネットと出会った瞬間です。
1995年の1月のことでした。
地震があと2時間ほど後に起こっていたら、
運良く助かったみんなの中で、ボクだけが運悪く死んでいたわけです。
急にいろんな思いがこみ上げてきました。
被災地を自分の眼で見てしまったことも関係あるかもしれません。
ボクは昔からアホで、単純でした。
ちょっと前まで神戸へ行くことを反対していたくせに、
神戸のために何かせねば、と思うようになりました。
それから毎日、数時間かけて神戸へ出社し、
オフィスの整理からはじめました。そして、
会社としても被災地に何かせねば!と強く思うようになりました。
「被災地神戸に支社を持つ会社として何かしませんか!」
会社にかけあいますがいい返事は返ってきません。
今思えば、情報誌出版なんて仕事は「衣食住」のどこにも関係しません。
すべてを失っている被災地に、会社としてできることなんかないのに、
ボクは駄々っ子のように騒ぎました。
で、有志とともに、被災地へボランティアに出かけることにしました。
情報誌出版という仕事をしているのです。
せめて、「情報」という面で何かできることはないのか?
それを見つけたい、という気持ちもありました。
神戸支社長が「神戸支社へ行こう」と言い出しました。
神戸支社の人間として、神戸がどうなっているか見なければ、というのです。
ボクは反対しました。もう一度大きな地震が来るかもしれなかったからです。
が、そんなことりも、せっかく拾った命を失いたくない、
という気持ちがありました。長男はまだ2歳にもなっていません。
が、それはちっとも正論ではないわけで、結局、神戸へ行くことになりました。
大阪から行けるところまで電車に乗り、そこからバスで港へ。
港から船で元町へ向います。
被災地の奥へ進めば進むほど、体から力が抜けていきました。
元町について、泣きそうになりました。なんで泣きそうになったのか。
怖かったのかもしれません。街がおもちゃのようにつぶされています。
クルマが、ミニカーのように海に落ちていました。
百貨店の2階がなくなっていました。道路に散乱するガラスの破片。
廃墟の中を三宮まで歩き、支社ビルまでやってきました。
ビルは無事でした。なんと、三宮で無傷だった数少ないビルのひとつでした。
「これなら出社してても助かったかもしれんなあ」
そう話しながらオフィスがある階へ。
オフィスはぐっちゃぐちゃになっているものの無事でした。
ただ、ボクの席だけ、天井が落ちてきていました。
その「揺れ」は今も体で覚えていますが、直後の記憶がありません。
次の記憶は、その日の朝にとびます。
食器棚の中身がリビングの床に全部飛び出していました。
食器たちは粉々になって、ただのガラス片となって散乱しています。
停電が回復してやっとついたテレビに、神戸の街が映し出されています。
高速道路の高架が横倒しになり、
見覚えのあるビルが2階,3階を失ってちょっと低くなり、煙を出しています。
どうしていいかわかりませんでした。
嫁と息子は、ここよりも神戸に近い実家に泊まりに行っています。
心配です。なのに、頭の中が真っ白になって、
何もできず、ただテレビを眺めていたことを覚えています。
ボクは基本的に、思い立ったらすぐ行動、というそそっかしい人間です。
が、その日はまったく何も思いつきませんでした。
昼ごろ、嫁とは連絡がつき、無事であることが確認できました。
でも、実家のまわりでは家がいくつも倒壊したそうです。無事でよかった。
次の日、神戸支社の人間は、大阪支社に集合しました。
もちろん、集まることができる人間だけです。
神戸支社へ異動になりました。
かつて、ボクは24歳の時にチームを任されていました。
大阪でもリーダーでした。それが神戸では1メンバーです。
これは左遷や!と、一気にいじけました。
そんないじけ方をしていたら、神戸のスタッフに受け入れてもらえません。
特に職種が違う営業マンには「なんじゃあいつは!」と
思われていたに違いありません。
3ヶ月が過ぎ、新しい年がやってきました。
その会社は3ヵ月ごとに異動があります。
密かに、リーダーに戻れるかも?と期待していたのですが、
いじけている人間がリーダーになれるわけがありません。
リーダーになれないことがわかって、ボクはますます後ろ向きになりました。
「ほんまに、なんで神戸なんかに異動になったんやろう.....」
嫁が息子を連れて実家に帰っている日のことです。
一人で大の字になって寝ていたら、明け方、世界が激しく揺れました。
食器棚の中から食器が飛び出し、
家の中にガラスの割れる音が響き渡りました。
駄々っ子のように無理を言って、1年後、編集から制作へ戻してもらいました。
今思えば、この時の編集経験がモーハワイを作る上で役立ちました。
でも当時は、「早く以前の自分に戻りたい」としか考えていませんでした。
いざ戻ってみたら、制作現場は大きく変わっていました。
市場の変化にともなって、
コウコクの制作本数も制作マンの人数も減っていました。
浦島太郎のような気分でした。
多分、ボク自身も変わっていたと思います。
コウコクを作るって何なんやろう?
がむしゃらに働いて築いてきたものが
1年ほど違う職場に行ってただけで幻のように消えているわけです。
働くって何なんやろう?
煮え切らない気持ちのまま、また1年が過ぎました。
それなりの実績は残しましたが、以前ほどではありません。
ぐうたら社員に落ちこぼれようとしていた時、異動の辞令がきました。
異動先は、神戸支社でした。
会社に復帰してすぐ、2つの事件?が起こりました。
1つ目は異動です。ボクは入院する前、コウコクを作る仕事をしていました。
それが、編集へ異動になったのです。
この2つの仕事は似ているようで、スタンスがまったく逆です。
コウコク制作は、コウコク主の代弁を行います。
コウコク主が何を伝えたいのかを聞き出し、
ターゲットにできるだけわかりやすく伝えようと表現します。
編集は、自分自身に伝えたいこと言いたいことがまずあって、
それを伝えるために、いろんな材料を探してきてまとめます。
今でこそ、こうやって説明できますが、25歳のボクは理解できませんでした。
早く以前の自分にもどりたいのに、違う仕事を任せられたことにいじけました。
コウコク制作時代は「仕事ができる男」やったのに、
一気に「ダメな社員」になってしまいました。
そこに2つ目の事件?が発覚します。子どもができたのです。
(あとから入院中に作ったやろ!と言われましたけど、それは無理です)
ボクが生きているのは、この子のためかもしれない!
仕事からの逃げもあって、
ボクは一気にマイホームパパへ向かうのでありました。
2回目の手術も14時間かかりました。
目が覚めると、視界が交差していました。
腫瘍のために圧迫されていた視神経が開放されたためです。
そんなことより、生きています。
嬉しくて顔をくしゃくしゃにして泣きました。
いや、顔をくしゃくしゃにしたつもりでしたが、左顔面が妙な感覚です。
さわったら感覚がありませんでした。動きもしません。
左の顔面神経をいじってしまい、麻痺してしまったようです。
まあ、生きてるだけで儲けもんです。左顔面なんかどうでもいい。
助かった。生きている。
この手術は、ボクの人生観を大きく変えました。
そしてまずは、早く社会復帰したい、と強く思いました。
そもそも、頭しか手術してないので、障害が出なければ体は元気です。
4月末に入院したのに、7月半ばには退院していました。
そして8月半ばには会社に復帰しました。
復帰したのはいいですが、左顔面が動かないので、
笑うと顔が全部右に引き寄せられます。
かなり怖い顔をしていたと思います。
手術は14時間かかったと教えてもらいました。
左後頭部を開けるため、右を下にして14時間の全身麻酔です。
その結果、右半身に上から下まで床擦れができました。痛かった。
集中治療室からナースセンター横の小さな部屋へ移された夜のことです。
ピッピッピッという脈をとる機械の音が、ピーーーーという音に変わりました。
心拍停止? 急にまわりが慌しくなり、たくさんの足音が聞こえてきました。
そして、ボクのベッドはその部屋から運び出されたのです!
あちゃー、わし、死んでしもたのね(涙)
が、次の日、普通に目が覚めました。
亡くなったのは、隣のベッドの方だったようです。ううむ、複雑な気持ち。
こんな環境の中で、1週間ほど寝たままでした。
そして、体中の管がとれて、ベッドから立つ日がやってきました。
足はがくがく、頭はフラフラ、立って歩くということが
こんなに大変やとは知らんかった。生きててよかった!
が、元気になったころ、衝撃的な事実を聞かされます。
腫瘍が大きすぎて、1回目の手術では半分しか取れなかったこと。
残り半分は脳幹にくっついているのでより危険な手術になること。
刺激的すぎます。オーマイガッ
ベッドに寝転がったまま、手術室へ運ばれていきます。
天井のライトが現れては消えていきます。
両サイドには看護婦さん。その中に嫁はんの姿もありました。
気がついたら手術室に運び込まれていました。
嫁はんに何か気の聞いたヒトコトを残せなかったこと悔やんでいたら
口に何かをかぶせられ、そこで意識を失いました。
全身麻酔の吸入器やったんでしょうね。
やがて、のどの痛みで目覚めました。
目の前に右手があります。手首はベッドに縛り付けられていました。
腕の内側から管が3本のびています。
眠ったまま暴れて管を抜こうとしたので、手足を縛られていたようです。
手を自由にしてもらってから恐る恐るあちこちを触ってみました。
口、鼻、頭のてっぺんから管が出ていました。
背中からも無数の管が出ています。
左後頭部を開けて手術したようで、
左後頭部は包帯のようなものでぐるぐる巻きにされていました。
そこまで確認したところで、自分が生きていることを認識しました。
さすがに涙がこぼれました。
「張り付いて看病したいから籍を入れたい」
嫁はんは泣きながらも、普通にそう言いました。
正直言って驚きました。
結婚はなかったことに、ってなってもしょうがないと思っていました。
いきなり未亡人になってしまうかもしれないのに。
全身不随になっても生きなくちゃ、と思いました。
------------------------------------------------
というわけで、今生きているのは嫁はんのおかげです。
が、喉元過ぎたら熱さ忘れるじゃないですけど、
その後、とんでもない不良亭主であり続けています。
かーちゃん、ごめんな。
------------------------------------------------
いくつか病院を廻ったあと、
大阪脳神経外科という病院に入院することを決めました。
その病院の院長は、日本を代表する脳外科医でした。
ボクの腫瘍がでかい上にとんでもない位置にあることから、
その院長が執刀してくれることになりました。
あわただしく手術の日が決まり、当日がやってきました。
その日の朝、ボクは頭の毛を剃られました。
1 2 3 4 次のページ> 1/4page
カレンダー
< 2008年09月 >
31 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 1 2 3 4
広告
Profile
へなちょこ・しゅん
血液型 A型
モーハワイ★コム編集長
■6歳■
学校から帰る途中、友達が落とした時計を取ろうとして車道に飛び出し、クルマにぶつかる。なんと、おばあちゃんが買ってくれたランドセルが、クルマの前輪にはさまり無傷。一度失った人生よ。 
■19歳■
調布から都内へ帰る途中、
ホンダのカブ(50CC)で軽トラと正面衝突。10mほどぶっとんで歩道へ。前輪が電柱とビルの壁の間にすっぽりおさまり、かすり傷だけで済む。二度失った人生よ。   
■25歳■
頭のど真ん中の脳幹に、脳腫瘍が見つかる。摘出手術14時間を2回やって、無事生還。後遺症は顔面麻痺のみという奇跡。手術の成功は脳外科学会で発表される。三度失った人生よ。   
■28歳■
とある会社の神戸支社へ配属になったとたん阪神大震災が起きる。早朝だったので大阪の自宅で被災。廃墟の三宮へ出社したら自分の机に天井が落ちてるのを発見。四度失った人生よ。
■35歳■
コンドミニアムの天井から黒い汁が垂れてくる。管理人と一緒に、誰も住んでないはずの上の部屋を調べに行ったら、腐敗した死体を発見してしまう。詳しくは編集記(この上のほうにリンクがあります)をご覧くださいまし。
■40歳■
脳腫瘍摘出手術を再び受ける。今回は12時間。いやはや、また助かっちまいました。
QRコード
qrcode
RSS 2.0
RSS 1.0
ATOM 0.3
XHTML 1.0
CSS
モーハワイ★コム
お知らせ通知登録
メールアドレスを入力して登録ボタンを押してください。このブログの新着記事をメールでお届けします。
お知らせ通知登録:
[解除はこちら]
最近のコメント
 丁度同じタイミングで記事をアップされていたので... NEW (スティーブ)
2008年9月6日 17:24
ほんのつい先日も、イオラニパレスがネイティブハワ... NEW (有記参謀)
2008年9月6日 17:21
はわ~・・めっちゃオーラ出てる方ですね。 NEW (エスト)
2008年9月6日 15:31
これのオープン・バージョン、トランクがメッチャ狭... NEW (武闘派ジェフ)
2008年9月6日 07:22
第一作 いいですよね。 おいらもいつも泣いちゃい... NEW (へなしゅん)
2008年9月6日 00:58
この方、 いつもどうでもいいようなお話をされて帰... NEW (へなしゅん)
2008年9月6日 00:55
この先の人生 一台しか乗れないといわれたら やっ... NEW (へなしゅん)
2008年9月6日 00:53
ウチの車と同じだぁ~car 乗りごごちはいかがでした... NEW (車ネダ 妻)
2008年9月5日 19:32
ワイキキでレンタカーはいつも岡田X改め岡田さんに... NEW (SADA)
2008年9月5日 19:00
えっ、KONAなんですか? ぜひ、Hiloにも。phonetoPlese ... NEW (アリ音)
2008年9月5日 18:57
モーハワイの本
へなちょこ・しゅん
&モーハワイの本▼
4789724646
4789724646
4789728625
4789728625
4789728625
4789728633
4789726207
4789724646
4789722686